ニフティ・フォーラムより

一般の観客の批評ですが、大変、面白く書かれているので、著作権者の許可を得て転載申し上げます。

「楽阿弥」
能がかりの曲で滅多に狂言としては上演されないと思う。確か19日に千之丞・源次郎の一調が大槻であったと思うがそれも滅多にないと思う。

作物が正先にまず出される。松に尺八を模した竹筒が3つ、白の短冊が1つ下がっている。<次第>(笛は一吹きだけ)でワキ(僧)が登場するが僧の雰囲気が十分で、常座で鏡板にむかって謡うが朗々と響き座が しまる。続いて「名ノリ」、「道行」になるが運歩が重々しい中にどこか軽みがある。末尾の「着きにけり」は言い切るようにするが、これは能がかり物では常にそうだが、千作さんがやるとなごみがあり雰囲気が狂言になる。

アイ(所の者)に作物の由来を尋ね、楽阿弥を弔おうと正中で腰の尺八を取り出して吹く所作をする。ここで笛が尺八に似せた音を発し、なかなか雰囲気がいい。ここは千作さんの所作、擬音と笛がぴったりと合った。

ワキが脇座に座すと<一セイ>の中、シテが導かれるように登場。老体のような面をかけている。着流しに黒の水衣で右腰に尺八を差している。一の松で「尺八のあら面白やの音色やな」と謡う。千作さんの野太さとは異なる味わいの柔らかい謡(ここで地謡が切り戸より入る)。正中に行きワキと掛け合いになる。ここは間がとても良くて面白い。僧は弔いの気持ちに溢れ、シテは尺八をいとおしむ感じがある。つれ尺八を辞退 しながらも共に構えて吹き出すが、ワキは左を手前にした通常の形(帰りに電車の中ではまちと邦Jを見て確認)だが、シテは右を手前の逆さ持ち。下手の横好きだったのだ。

「とぅらぶ〜」と擬音を発しながら合奏。ワキに最後の様を語れと言われ、シテはカケリ(この時ワキは数珠を構える)。さらに地謡の中舞うが、尺八を吹き鳴らして物乞いをしたら皆に押し伏せられて吹き死にし てしまい、未だに迷い苦しんでいるのでお坊さん助けてちょうだいとさかんにお願いする。シテは舞いながら首に枷をはめられたように両手を耳の後ろにやるがこの辺の所作はリアルでうまい。最後は「かき消すように失せにけり」で正中ややワキ正よりで僧に対峙して立っていたのがそのままひょいと180度回転して留。

両ベテランが円熟した芸を能がかりの稀曲で見せてくれました。荘重だが笑いの要素を盛り込める間の良さがいい。いいものを見ました。

千作さんは12日の銕仙会でも「木六駄」で凍えんばかりの雪の寒さと牛を見せてくれました。うまそうに酒もお楽しみでした。大曲・稀曲の一週間で大変でしたでしょうが堪能しました。感謝。


「融 十三段之舞」
融大臣はこういう人だったに違いないと早舞を見ながら確信した快演。春の西行櫻がちょっと貧弱な感じがしたので不安半分だったがとんでもない。前場の老人はもの寂しい風情の中に、月を見やる様などに風雅を 感じさせる。いつもながら面は完全にフィットし直面かとも思わせる。後場は中将面がピッタリの若々しさ。青に金糸で文様の入った狩衣(紐は朱色)に何と緋大口。入りはやや前傾していたが舞台に入ってからは壮年の大臣になりました。中将面があれだけフィットするとは思わなかった。

7日の日曜日に放送大学(関東限定)で融についてやっていたの見た人いますか? 小生たまたまテレビをつけたらやっていて、その時六郎さんが中将ではなく三日月の面で登場されたところがありまして、久馬さんが三日月で登場したら恐いだろうなと思っていたのですがそれはなかったですね。

舞は何ともはや脱帽。細かいことを言えばいろいろ難はあろうが、橋懸かりも含めて舞台を縦横無尽に上品なほのかな色気を感じさせながら舞われました。舞返のクツロギで橋懸かりを旋回し、三の松で欄干越しに 覗くようにしたところは面がリアルで艶かしい(目の前の方はあまりリアルである種の怖さも感じたのではなかろうか)。お囃子もノリが良く凄かった。
誰も拍手せず、充分に余韻も楽しめました。附祝言は「尽きせぬ宿こそ めでたけれ」(猩々)。

今回はパンフの構成、解説がとても良かったですね。前にちょっと狂信的な表現なんぞと書いてしまいましたが、補助席まで一杯だったこと、幕に下がられるのをみんなが静かに見守っていたことが、多くの人が 久馬さんの価値を知っていることを物語っています。

          ### 燕三郎 ###