朝日新聞の能評

1998年9月29日付「朝日新聞夕刊」掲載、多田富雄博士(免疫学者で新作能の作者)による能評

復讐劇 自在に演じる久馬
 老人の心にはひそかに復讐(ふくしゅう)の念が芽生えた。天から降ったという鼓をこよなく愛したわが子を、その鼓を取り上げるために殺した帝(みかど)から呼び出しがあったのだ。それも、鳴らなくなった鼓を打てという。
 異色の能楽師、橋岡久馬の演ずる「天鼓 弄鼓楽(ろうこのがく)」(22日、東京・宝生能楽堂)の前シテは、阿古父尉の面に唐帽子をかぶり、ヨロヨロと幕からさまよい出たが、ひざまずきながらも終始面をあげて勅使に対し、その決意を顕(あら)わにした。鼓が鳴ったなら、それが彼にできる唯一の復讐なのだ。
 背を丸め鎖につながれたように引かれてゆき、意を決して鼓台に置かれた鼓を打つと奇跡の妙音が聞こえた。久馬は面を右に受けて、それを遠く聞き、次いで鼓台にしがみつくようにしてくずれ落ち、安座してシオった。父の復讐は成就したのだ。間狂言に送り込まれる中入りでも二ノ松あたりで二度もキッと振り返ってそれを確認した。
 贖罪(しょくざい)の管弦講が始まると、自分が沈められた湖水に美少年天鼓の霊が現れる。真摯(しんし)な面持ちの「童子」の面に古びた装束。少年は父の復讐が成ったことを喜び、今は水の精霊となって湖面に遊ぶ。
 この日の久馬は。軽やかに、しかし決して華やぐことなく水に遊ぶ少年の喜びを舞った。「楽」の三段では、十六分音符をつらねたような小刻みの足取りで橋掛かりに走り、大きく二度もつま先で「流れ足」を見せたかと思うと、舞台の鼓を見込んで走り寄り、いとおしむように二度三度と打った。水中の歩みを見せる「抜き足」を披露し、鼓台をぐるりとめぐってバチを捨ててとめた。最後は跳び返りざま左袖(そで)を頭上に返して水中に沈んだ形で幻と消えた。
 鬼才、久馬七十五歳の自在な演技。脚本では統一性を欠く前後場を心理的復讐劇としてつなぎ、少年の舞に意味を与えた。いろいろ意見もあろうが、近来まれにみる面白い能となったことは確かだ。

ニフティ・フォーラムより

一般の観客の批評ですが、大変、面白く書かれているので、著作権者の許可を得て転載申し上げます。

 この日の目的はもちろん「天鼓」。
 お仕事中にふと気がつくと「人間の水は南〜♪」が頭に鳴り響いているくらい、この謡いが私のツボなんですもん。
 この日の地謡は、本当に気持ちよかった(特に前半)! 鑑賞する態度としては不真面目かもしれないけど、私もあんな風に声を出したい、ああいう風に謡いたい。あの中に入りたいよう〜という気分になりました。
 男性がうらやましいです〜。私、声を張り上げるほど、高い声になっちゃうんですよね、、、。(><) 自分で許せない。
 橋岡久馬師は今年で76歳。
 生意気ながら、前シテの子を無くした父の役はともかく、後シテの亡霊・少年天鼓はどうなるんだろうと考えてしまいましたが(本当に失礼、、、)、後半がとっても面白かったの。
 「弄鼓樂」の小書で、舞が盤渉楽に替わり、太鼓が加わり、前半一部カットに。
 舞が15分ほどと聞いて「うっ、駄目かも、、」(←相変わらずこの鑑賞態度には問題あるなあ)と一瞬ひるんだのですが、も〜全部杞憂! 舞台に引き込まれちゃいました。
 橋岡師の動きは、なんていうかちゃっちゃっとしてる(能の動きにこれもあり!? )とこがあって、びっくりしてんですが、、。
 少年天鼓が出てくるときのスタスタ歩き等々、こう人外のもの・異形のものっぽくて、怖さをつきぬけて(初め怖かった、、)、「ああ天鼓の存在は飛び抜けすぎてて、この世にとどまれなかったんだわ」と納得してしまう。
 「呵責の責めも暇なかりしに」って全然そんなの、この天鼓とは無縁。
 鼓を打つ場面も、なんというか、鏡に映った自分と戯れているように見えて、ほほえましかった。
 少年と天から降った鼓、二つの天鼓が同じ空間・時間を共有していた何年間かが奇跡のよう、、。エネルギ−が強すぎて、どちらかしかこの世に残れなかったんだろうなあ。
 もっともっと続いて欲しかった舞が終わり、地謡が始まったとき、ぱあっと古代の星空が広がった気がした!  最近曽侯乙の墓展やらキトラ古墳の特集やらで古代中国の星宿図の本ばかり読んでいるからか、、、。
 全体の中できく「人間の水〜」は格別。 
 地謡が気持ちよくて、本当に良かった! お囃子がどうたら、の部分ってよく分からないのですが、この日の舞台は聴覚の方でもとっても訴えるものがあったの。
 このお話の元凶、見えざる帝って、舞台を見てる観客なんだな〜(目線がね)。
 おかげで帰り道のよしのはやたら偉そうだった、、、って話。
 謡曲を読むだけと、本物の舞台を見るのって、全然違いますね。この曲にこんな感想を持つなんて思いませんでした。
 まだ見たい曲っていっぱいあります。楽しみが増えた気がする。

                    よしの


小生、噂はかねがね聞いてはおりましたが橋岡久馬師の能を拝見するのは初めてです。ワキに呼び出されて出てこられた時は「あれっ」という違和感がありました。でも曲が進むうちにそれはなくなりました。シテの橋岡久馬はどこにもなく、王伯(前シテ)であり天鼓(後シテ)が舞台上にいるだけでした。これだけ自分を殺して役柄になりきったシテは初めて見ました。

小生、これまでも演出過剰、演技過剰のやり方には嫌悪感を持っていることをいろいろな発言でにおわせてきましたが、ここまでやられると感服するしかありません。

最初に独吟がなかったら、厚い壁を作ってしまったかもしれません。久馬さんの謡は誠に独特で、観世流といわれても「ホントに?」とたずねてしまいます。でも言葉に魂が入っているからとても説得力があるように思います。「實方」の詞章は、新古今の序の記載を謡い、最後は「ちたねを植うる吉野山。落花は路を埋めども。去年のしおりぞしるべなる」と西行法師の歌から取った詞で終わりますが、この最後の詞章がとても説得力があった。
話を「天鼓」に戻します。
まず前場。閑さんの勅使はとても立派。名ノリの後、シテの一声からサシと続く場面は省略(弄鼓樂の小書が付いたからかどうかは不明)して、ワキが一の松へ行き王伯を呼び出すとシテは二の松までヒョコヒョコと出てきて座しワキとの問答になる。
「たとひ罪には沈むとも」で立ってワキに従って舞台に歩むところが面白い。半歩ずつ進み、地謡の「帝を拝み参らせん」でシテ柱によりかかるようにして心の空虚さを表しているように見える。

内裏(舞台)にはいり、地謡「生きてある身はひさかたの〜」からクリ、サシ、居クセと続くが、特にクセでの表情は見事。地謡はよしのさんが
>>本当に気持ちよかった
と言っていましたが、とても気持ちがこもっていてシテと一つになっていました。
「唯命なれや明け暮れの」でハッとして鼓に思い入れをし、「身こそ恨みなれ」で本当に痛々しいほどガックリときて二度左でシオルところなどは、久馬さんならではなんでしょう。多分、他の人なら小生はここで切れていたでしょうが引きこまれてしまいました。

ロンギになってシテが「げにげにこれは大君の〜」のくだりは、誠に高貴に敬い奉る感じがよくでた謡。「老いの歩みの足弱く薄氷をふむ如くにて」はいかにもリアルな歩の運びで正先の羯鼓台へ行き、「打てば不思議やその声の心耳を澄ます声出でて」で脇正方向を向いて聞き入る様もいい。「君もあわれと」でバチを落とした後、「龍顔に御涙」で鼓をかかえ続いて崩れる様に座し「ありがたき」で合掌するところは真に迫る(いつもの小生なら、クサイと白けたろうが・・・)。

この後アイに送られて中入り。アイが三の松まで送らねばならない程の王伯の心持ちがよく感じられる。アイの小三郎さんはなかなか肚があり立派。この日の狂言「雷」も上出来でした。

勅使の待謡から後場に。正直言って、あれだけの老父を演じて、同じ人物が少年を出来るのかなと、よしのさん同様思いました。
でも一声の囃子でササッと常座まで出てきたのはびっくり。ありがたい弔いに導かれて出てきた感じです。ワキに問われて「これは天鼓が亡霊なるが」の応える謡の調子が高い調子でこの世のものではないものである感じがよく出ていた。

掛け合いの後、シテが羯鼓のバチを取り「打つなり打つなり汀の声の」での足拍子が囃子と良く合いとてもうまい。この後<楽>になるが一番感心したのは足拍子のうまさというか自然さ。この日の<楽>は団扇は持たず最後までバチで。持ちかえながら舞われていました。バチを左に持ちかえ、常座から一の松へ行き横歩きのようにして二の松との間を動く様は呂水の波と戯れているのだろうか。その後は、よしのさんの表現、
>>鼓を打つ場面も、なんというか、鏡に映った自分と戯れているように見えて、 ほほえましかった。
>>少年と天から降った鼓、二つの天鼓が同じ空間・時間を共有していた何年間か が奇跡のよう、、。エネルギ−が強すぎて、どちらかしかこの世に残れなかったんだろうなあ。
が的確だと思う。<楽>そして最後の「面白や時もげに」から「人間の。水は南。」以降は少年の姿をしたこの世のものではないものの舞と呂水の波を見ました。水面を軽やかに跳び返ったのにはびっくり(でも一連の流れの中ではごく自然で終わってから振り返ればとても驚くべきことだったということです)。「また打ち 寄りて」でもう一度飛び返り左袖を被いて立って留。三の松まで入ったところで、地謡が「つきせぬ宿ぞめでたけれ」と附祝言。

この日の囃子方は今年一番でした。笛の盤渉も太鼓もよかったが、なんといっても大小がよかった。飾り気はないけど清澄な響きでシテと良くあった間でした。

よしのさんの的確なRに随分長い、重なりもある感想をくっ付けてしまいました m[_]m。かなり衝撃を受けた能でした。

          ### 燕三郎 ###