―旧約聖書の人物像:「ヤコブ:人間の成熟への道を示す生涯」―
1.ヤコブの生涯(創世記25−46章)
a)ヤコブは、イサクとリベカの間に生まれたふた子の一人で、兄の名はエサウといった。
・彼は兄エサウのかかとをつかんで生まれてきた。
二人の兄弟の性格は対照的であった。
エサウ:狩猟者として戸外生活を好んだ。
向こう見ずでお人好し
ヤコブ:家庭の中で羊の世話や料理を作ることを好んだ。
すばしこくて、野心家で世故にたけていた。
⇒二人の性格よりも信仰によってヤコブがエサウよりも祝福された。
b)ヤコブは兄エサウより長子の特権を奪ってしまった。
エサウが野からお腹をすかせて帰ってきた時、
ヤコブはおいしそうなにおいを天幕一杯ただよわせ、
エサウがすき腹に耐えられなくなり、「一杯食べさせてくれ」
と頼んだことに対し、ヤコブは交換として長子の特権とそれに伴う
もろもろの霊的祝福を奪ってしまった。
・ヤコブは兄エサウより父の祝福を奪ってしまった。
ヤコブは母の作ったおいしいやぎの子のごちそうを手に持ち、
手と首のあらわれている部分には、毛深い兄エサウをよそおうため、
子やぎの皮をつけ、エサウの着物を着て父イサクに近づき、主の御名をかたり父をだまし(27:20)、
父の祝福を得てしまった。
それは兄弟に対する支配権と、財産のすべてと、彼の子孫から約束の救い主が生まれるという
保障であった(27:28,29/ゼカ8:12)。
⇒ヤコブは神の祝福が自分に約束されていることを知っていた(25:23)が、
神ご自身によってそれが 行なわれる時を待ちきれなかった。
d)ラバンに無断で、妻子たちや多くの羊の群れをつれてひそかに故郷に向かって
旅立った。追ってきたラバンと主のいましめにより和解した。
e)故郷に近づくとエサウに対する恐怖が頭をもたげ、人間の知恵に頼るあらゆる手段を
とった。自分がエサウの手より救われたいというまったく利己的な祈りもささげている。
妻子を川向こうに渡してしまってから
ヤコブは生涯において最初の赤裸々な祈りを神にささげた。
しかし、あくまで自力によりたのんでいたヤコブは、腰の骨がはずされ、
無力をさとるまでは、決して祝福されなかった。
利己的な自我が打ち砕かれて、ヤコブ(人を押しのける者)から
イスラエル(神の王子)に名前を変えられた。(32章)
すべてが解決されていた。
2.円熟した生涯 ヤコブ
ヤコブの生涯はペヌエルの経験を分水嶺として二分される。
前半は自分の機知に頼り狡猾な手段を弄し、我意を通した生涯であった。
後半は試練を通して得られた円熟した生涯であった。
⇒ヤコブの生涯は、人間完成の希望を示している。
−創世記35:2-4―
神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。
そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げていったときあなたに
現れた神のための祭壇を造りなさい」
ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。
「お前たちが身に着けている外国の神を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。
さあ、これからベテルに上ろう。
わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった
神のために祭壇を作る。」
人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、
ヤコブはそれをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。
(問)ヤコブは成長した息子たちに「外国の神を取り去りなさい」と言っている。
何の抵抗もなく偶像は差し出され、取り去られた。
なぜこの父親は、このような権威をもっていたのか。
どうしてこのことばには、反抗できない強い力があったのか。
すべての親、すべての教育にたずさわる者が意識してよい本当の権威の
三つのポイントを見出すことが出来る。
ポイント1
「神はヤコブに言われた」「ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。」
の順序に注意。
ヤコブが、子ども達に話していたとき、神が話されたことの完全な影響下にあった。
神のみことばの影響をそのまま子ども達におよぼした。
神が語られた人の言動には、その力が感じられる。
たやすく聞き逃すことの出来ない一種の迫力が潜んでいる。
わたし達は、まず神がみことばにおいて、また祈りにおいて
わたし達に語ってくださるよう願いたい。
ポイント2
ヤコブは、取り去るように命じたあやまちに自らは染まっていなかったこと。
ヤコブは、外国の神を取り去るように命じた。
その話し方から、ヤコブ自身は外国の神(偶像、身に着けている旅行のためのお守り)を
持っていなかったことが「わたしたちの」ではなく「お前たちが身に着けている」などから分かる。
父親が、ただ神にのみ全き信頼を置き、禁じられているお守りや偶像と何の関わりも
持っていなかったことを子ども達が知っていたからこそ、スムーズに偶像やお守りが
取り去られていった。
その目的を達するために父の生活、教育に携わる者の生活そのものがある。
その時、他の者に対しても説得力のあるものになる。
現在、わたし達の生活そのものが、わたし達のことばを力のないものにしている以上、効果がないのは当たり前。わたし達が他の者に進んでもらいたい道を自ら進むならば、その言葉、行動に力が伴うようになる。
ポイント3
ヤコブの家族が差し出すように命じられた身に着けている他の国の神や偶像は
当時の人の考えでは、旅の安全を守るお守りのようなものであったろう。
ヤコブは、このような間違った、禁じられているお守りを家族から取り上げた。
しかしヤコブは
・自分の体験によって知った、お守り以上のお守りを示し、その力をあかしすることができた。
・それは、いける神に対する祈りと信頼であった。
ヤコブは苦難の時代にそのすばらしい力を体験した。
一般論としてだけではなく、自分の苦難の時代に個人的に祈りを聞かれたことをあかしした。
彼は道中共にいてくださった神を賛美した。
それが、子ども達の心に、信仰の道を喜んで進もうという気持ちを起こさせた。
偶像をたよりにする愚かさだけを諭しても、体験を通しての尊い勧めに勝るものではなかった。
自分の体験から、信仰の道のすばらしさを子ども達にあかしし、
勧めることのできる両親や教育に携わる者の数が増えることこそ
願ってやまないことではないだろうか。
次回は 7月10日(日)
旧約聖書 最終回 旧約聖書の人物像「ヨアシュの生涯からの警告」