教会教育講座2005
(聖書は何を語るか より)
3.旧約聖書の中心テーマ3 ―残りの者―
◎ 旧約聖書のメッセージの特徴
契約・選び・残りの者・低きに降る神
の四点が考えられる。
今日はその第3回
残りの者 ⇒ 否定を通しての肯定
現代の日本の教育(無原則の肯定)に最も欠けたものを考えたいと思います。
私たちは、大島 力著「聖書は何を語るか」に沿ってこの講座を進めています。
伺うところによれば、大島先生は元東神大学長の左近淑(サコンキヨシ)先生に師事したとの
ことのようです。左近先生は私たちと近い関係にある神奈川バプテスト教会(現教
団横浜明星教会)教会の出身で四谷新生教会で伝道師をされていました。その一つ
一つに横浜の空気、バプテストの空気を感じます。特にこの「残りの者」の意識は
「私の救われた時」の体験を持つエヴァンジェリスト(福音主義者と言われ、バプ
テスト、メソジスト、プレスビテリアン、メノナイトなどに多い)共通の意識の中
に色濃く反映されていると思います。
A.旧約聖書から
1)創世記7章23節(ノアの洪水物語)
・地の表にいた生き物は全てぬぐい去られた。
・ノアと彼と共に箱舟にいたものだけが残った。
2)創世記45章5−8節(ヨセフ物語)
ヨセフが兄弟たちに自分の身を明かしながら
・神が私をあなたたちより先にエジプトへお遣わしになった。
・それは、エジプトにあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、
大いなる救いに至らせるため。
3)列王記18章―19章18節まで(エリヤ物語)
バアルの預言者との戦いに勝ったエリヤの命をアハブ王の妻イゼベルが狙い、
逃げ隠れに疲れたエリヤに臨んだ主の言葉
・主との契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したイスラエルの人々を
ハザエル、イエフ、エリシャを通して殺す。
・しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これはみな、バアルにひざまずかず、
これに口づけしなかった者である。
4)イザヤ書6章12・13節(イザヤの召命)
最も偉大な預言者イザヤが前742年、有能な王ウジヤ逝去の年、神の聖性に圧倒された
神体験と使命感の内に召命を受けた際、
・主は人を遠くへ移される。国の中央すら見捨てられたところが多くなる。
・なお、そこに十分の一が残るが それも焼き尽くされる。
・しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。
5)イザヤ書11章1、2節(平和の王)
・エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。
ダビデ・ソロモンの繁栄からではなく、
⇒ エッサイの株から
ダビデ王朝の断絶を経て、はじめてメシアの到来
B.新約聖書から
新約聖書の至聖所とも言うべきロマ書8章―12章にもこの考え方が、
盛り込まれている。
1)ロマ書11章1節―11節(イスラエルの残りの者)
・3章20節までの全人類の罪の確定
⇒21節以下の信仰による義
(イスラエル問題)
・イスラエルの救いが「残りの者」がいるということ。(1−10節)
・イスラエルの拒否が異邦人に救いを拡大させたという意味で神の民としての使命が
遂行されたこと。(11−24節)
・イスラエルは再興すること(25−32節)
・神の権能にこそ救済の望みがかかっていることに対する賛美 (33−36節)
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている
のです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
(ロマ書11章33節)